「コンドラシンは語る」より ウィーンの聴衆 2
そして数日後ウィーンで同じ曲目を繰り返しました。本当のことですが、ブラティスラフではチャイコフスキーの代わりにヒンデミットを演奏したのですよ――複雑な内容です。ところが、ウィーンでこのプログラムを行うと、わたしは演奏の最中、特にバルトークのところで、ホールの聴衆とのコンタクトが失われたことを感じました。わたしが見まわすと――誰もおしゃべりをせずに行儀良くしていますが、しかし、退屈そうな目です。この音楽はここでは関心が持たれていないとわたしには分かりました。聴いていないのは演奏が悪いからではなく――ブラティスラフでよりも悪い演奏ではないと思っていました――問題のすべてはまさに音楽そのものにあったのです。ラヴェルも同じく特別な感銘をもたらしませんでした。その後、わたしたちがメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」からスケルツォを演奏すると――歓喜の嵐です。つまり、聴衆は保守的だったという訳です。それが――名にし負うウィーンの聴衆なのです。わたしはおそろしく落胆しました。それを遺憾とする理由のひとつは、バルトークのように複雑きわまる作品を準備するその労力に見合う十分な評価が得られなかったこと。さらに――わたしが落胆したことは、得ることができたはずの反響を手にすることが出来なかったことです。なぜマーラーの交響曲第一番だけがいつも「ウラー[ブラボー]!」を引き起こすのでしょう?――そこなのです。
この演奏会は二度行われる必要がありました。一回目の演奏会後、わたしは一晩中眠れずにいて、ふとある考えが浮かびました。翌日朝七時にわたしはうちの楽団員のピアノ奏者を呼んで彼に言いました。
「アレク、あなたは今日指が腫れたので今晩のバルトークは演奏できないことにしてください。バルトークの代わりにわたしたちはマーラーの交響曲第一番を演奏します。それで、もしコンサートの後にパーティがあったら、指になにか処置をしてパーティに来てもらってよろしいでしょうか?」
そしてただちにムージク・ハレに電話してこう言いました。
「トラブルがありまして、彼は昨日の演奏は大変でした。夜中に指がこんなに腫れてしまったので、演奏はまったく無理です、、、」(バルトークの音楽のあのピアノ・パートにはどう手を加えることも不可能なので、それは曲目を変更するために納得できる唯一の理由でした。わたしたちはそうしたのです)