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「コンドラシンは語る」より ストラヴィンスキー

ラ:イーゴリ・ストラヴィンスキーについては思い出されますか?彼についての印象をまとめていただけませんか?

コ:ストラヴィンスキーは大物の一人ですね。わたしが彼と会ったときのことですか? 本当に少ないですよ。わたしが知り合ったのは、彼が1962年にモスクワに来たときです。彼は自作品のリハーサルに座っていました。クラフトが指揮をしました。自分のところへ来たたくさんの人と一緒に座って、とても積極的に交際していました。コンスタンチン・イヴァノフもシニェールソンもわたしも、そして多くの作曲家も――つめかけました。彼は根気強く、何が必要と彼が考えるか語り、、、オーケストラを止めてはコメントしました。クラフトはもちろんひどい指揮者ですから、オーケストラは彼との演奏には乗り気ではありません。のちにストラヴィンスキーは当時のわたしのオーケストラで「ペトルーシュカ」のいくつかのシーンを指揮しました。オーケストラは気に入ったようで彼はこう言いました。
「みたところ、このオーケストラはあちらよりはるかに柔軟ですね」
わたしはそのような言葉をいただけて光栄ですと答えました。

文化省は彼の歓迎パーティを「ナツィオナール」で催しました。そこにはショスタコーヴィチとその夫人、わたし、確かハチャトリヤンと、次官を連れたフルツェヴァもいました――8人から10人、それ以上ではなかったと思います。フルツェヴァはご機嫌で休みなく話していました。ストラヴィンスキーも同様です。

ラ:フルツェヴァに話などできたのですか?

コ:ええ、アネクドートとか何かですね。彼女は魅力的な人だったと言っても良いかもしれません、、、
そこで話が交わされました。このようなものです、イーゴリ・フョードロヴィチ、あなたは反ソヴィエト主義者だと思われていましたが、こうしてわたしたちの国においでになられています、世の中こんなものですね、と。彼はその時、彼について書かれたもの、これはすべてでたらめだと言いました。アメリカの新聞がソヴィエト連邦のことを貶めるような自分の発言を載せていたら、それは、ここにあるものすべてがわたしの気に食わなかったかのように彼らがでっちあげたものだ。
「しかし我が家を罵るなんてことは――彼は付け加えました――わたしは許しません。必要があれば、自分自身その場で文句を言います――わたしの家でね」
このフレーズはわたしの記憶に残っています――かなり賢明な言葉です。

ところで二回目の出会いは、1966年にストラヴィンスキー・フェスティバルが行われたときにニューヨークでありました。それは全曲ツィクルス演奏会でした。わたしはそこで「プルチネルラ」、第一幕、たしか「花火」、その後に小品を、そしてその後は、間違いでなければ、カプリッチョ、そして第二部には「ペトルーシュカ」を指揮しました。ストラヴィンスキー――サングラスをかけたこの猫背で背の低い人物――は第二部にやってきました。彼はほとんどホールから出て行かず、ステッキをつきながら難儀そうに歩いていました。「ペトルーシュカ」を聞き終わって楽屋裏へ来ると、わたしにキスを浴びせて、わたしが人生でもらったうちでもっとも大げさな褒め言葉を言ってくれました。そのとおりに繰り返します。
「あなたはすばらしい間のとり方をなさいますね」
わたしはとても良い気分でした、なぜなら彼が今まで見たこともなかったほど多くの箇所に休止などを入れていたからです。つまり、わたしはまったく新しいドラマツルギーを造形したようなものだったのです。彼が総譜のトビラにわたしに宛ててとても感動的な献辞を書いてくれたので、わたしはそれをガラスに入れて立てかけ、とても誇らしく思っています、というのもストラヴィンスキーは普段はまったく人を褒めない人だからです。

          

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