「コンドラシンは語る」より ウィーンの聴衆 3

主催者は気の毒がって、彼らでピアノ奏者を探すと言い始めましたが、それでは十分に堅実な内容にならないと自分たちでも理解したようです。ラジオのアナウンスがあり、プログラム冊子にも折込みが用意され、こうしてわたしたちはマーラーを演奏しました。効果は驚異的なほどで、演奏会にはきわめて渋い顔をしてあらわれた「ムージク・フェライン」ホールの支配人が、終演後に、少し居心地が悪そうな様子でわたしに言いました。
「まあ、全体としては、バルトークだけでなくマーラーも演奏できたから良かったですね」
わたしが行動を起こしたのは、こう確信したからです。つまり、名にし負う音楽都市ですら嗜好の進退がある。見るところ、ウィーンは今、古典的、ロマン主義的なものを取り込み過ぎて、新しい現代的な音楽(もしもバルトークを現代音楽家と考えるなら)を受け入れない。彼らの嗜好はある段階で停滞している、と。――聴衆はまったく嗅覚が鋭いですね。ホールはいっぱいになりました。立見席の後ろで、そこからホールに通り抜けられないよう格子で仕切られた休憩室のようなところにも、、、立っていました。
しかしその後ろにも入場券を持った人々が立っていて――ものずごい人だかりです。その休憩室が丸ごと埋め尽くされました。でも得られた反応はわたしが期待したものとはちがったのです。多分、わたしたちのせいなのかも知れませんが、でも正直に言いますが、それは何かが違うとわたしは思うのです、、、

「コンドラシンは語る」より ウィーンの聴衆 2

そして数日後ウィーンで同じ曲目を繰り返しました。本当のことですが、ブラティスラフではチャイコフスキーの代わりにヒンデミットを演奏したのですよ――複雑な内容です。ところが、ウィーンでこのプログラムを行うと、わたしは演奏の最中、特にバルトークのところで、ホールの聴衆とのコンタクトが失われたことを感じました。わたしが見まわすと――誰もおしゃべりをせずに行儀良くしていますが、しかし、退屈そうな目です。この音楽はここでは関心が持たれていないとわたしには分かりました。聴いていないのは演奏が悪いからではなく――ブラティスラフでよりも悪い演奏ではないと思っていました――問題のすべてはまさに音楽そのものにあったのです。ラヴェルも同じく特別な感銘をもたらしませんでした。その後、わたしたちがメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」からスケルツォを演奏すると――歓喜の嵐です。つまり、聴衆は保守的だったという訳です。それが――名にし負うウィーンの聴衆なのです。わたしはおそろしく落胆しました。それを遺憾とする理由のひとつは、バルトークのように複雑きわまる作品を準備するその労力に見合う十分な評価が得られなかったこと。さらに――わたしが落胆したことは、得ることができたはずの反響を手にすることが出来なかったことです。なぜマーラーの交響曲第一番だけがいつも「ウラー[ブラボー]!」を引き起こすのでしょう?――そこなのです。
この演奏会は二度行われる必要がありました。一回目の演奏会後、わたしは一晩中眠れずにいて、ふとある考えが浮かびました。翌日朝七時にわたしはうちの楽団員のピアノ奏者を呼んで彼に言いました。
「アレク、あなたは今日指が腫れたので今晩のバルトークは演奏できないことにしてください。バルトークの代わりにわたしたちはマーラーの交響曲第一番を演奏します。それで、もしコンサートの後にパーティがあったら、指になにか処置をしてパーティに来てもらってよろしいでしょうか?」
そしてただちにムージク・ハレに電話してこう言いました。
「トラブルがありまして、彼は昨日の演奏は大変でした。夜中に指がこんなに腫れてしまったので、演奏はまったく無理です、、、」(バルトークの音楽のあのピアノ・パートにはどう手を加えることも不可能なので、それは曲目を変更するために納得できる唯一の理由でした。わたしたちはそうしたのです)

「コンドラシンは語る」より ウィーンの聴衆 1

わたしはここ数日ウィーンから戻ってきたのですが、とても落胆しています。その訳ですか? 誤解しないでいただきたいのですが――それは演奏が失敗したからではないのです、、、。
ウィーンへは三年前からオーケストラとともに訪問しています。わたしたちはマーラーの交響曲第九番を演奏しました。それはとても大きな反響を呼び、その演奏によってわたしは一年後にマーラー協会から大きな金メダルを贈られ、特別なはからいで、大使館での授与式がありました。
その年の秋には最後の出演曲目を決める際にオーケストラ招聘元の興行主に頼まれ、わたしはマーラーの交響曲第一番を演奏曲目に入れました。二度も同じ作曲家ではバランスを欠くと思ったものですから、ウィーンではマーラーは外しました。ウィーンのプログラムは、わたしの観点では、とても注目に値するものでした。ペルト(音楽語法に現代的手法を使うエストニアの作曲家ですが、西側ではわたしたちのところにはその手の学校はないと思われています)の「ペルペトゥーム・モビーレ」、チャイコフスキーの――ヴァイオリン協奏曲をジュークの演奏――これは評判のためです。第二部では、バルトークの「弦楽、打楽器とチェレスタのための音楽」とラヴェルの「スペイン・ラプソディー」です。プログラムは、わたしの観点では、バラエティに富んでいて興味深いものでした。
わたしたちはウィーン訪問までの一日、ブラティスラフでこのプログラムを演奏しました。言わなければならないのは、まったく驚くほどの効果だったということです。このコンサートに居合わせた並居る音楽家、作曲家、活動家の、とくにバルトークの音楽に対する、反応[注目]は熱狂的なものでした。お祭りのような騒ぎです。

          

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