「コンドラシンは語る」より アメリカのアマチュア・オーケストラ

ラ:アメリカには900もオーケストラがあるとアメリカ人が言っているのは面白いですね。

コ:実際に900あるのでしょうが、その中にはアマチュア・オーケストラも含めてのことです。あちらには音楽学部があり、楽器を習ったことのある人が多い学園都市がたくさんあります。心底音楽を愛しています。オーケストラにはある程度演奏できる人が15人います。彼らは二、三週間のあいだに何かの作品を勉強します。そのあと二、三回リハーサルのために町から足りない80人のプロ演奏者をつれてきて自分たちのコンサートをし、年に三、四回の演奏会を計画します。これはアマチュア・オーケストラといっていいでしょう。それが900というわけです。もちろん実際の人数ははるかに少ないでしょう。その他の楽団は言うに及ばずです。わたしは彼らの演奏をきいて―、十分プロフェッショナルとは言えますがまあまあというところですね。ところで二級のオーケストラについてですが、だいたい似たり寄ったりです。ロサンゼルス、ワシントンはヨーロッパのオーケストラのレベルと言ったところですか、、、。

「コンドラシンは語る」より パリ管 2

早い話、わたしはショルティに賛成するところが多いのでしょうね。わたしがこのオーケストラと関わって確信したことは、たとえ相当に実力ある演奏者をメンバーに抱えているにせよ、まれに見るほど無秩序なオーケストラだということです。まったく集中力が欠如している。わたしたちはマーラーの交響曲第一番を演奏したとき、七回のリハーサルをしました。第一部ではドイツのピアニスト、エッシェンバッハがベートーヴェンの協奏曲第五番を弾きました。素晴らしいピアニストです。ベートーヴェンの第五協奏曲――これは問題ありませんから、わたしはすべてのリハーサルをマーラーに充てました。言わなければならないのは、みな容易に忘れるので、リハーサルのたび毎に同じ注意をしなければならなかったことです。うんざりされても、わたしの性格ですが、ひとつも妥協せず、しまいにはなんらか得るところはありました。その後わたしたちは四回コンサートをしました。二回はパリで、もう二回はパリの郊外で。

演奏会当日もう一度ベートーヴェンの協奏曲をおさらいしました。フィナーレで第二フレンチホルンのフレーズがあって、音符二つをレガート、ひとつがスタッカートです。その人はスタッカートひとつに、レガートひとつで吹きました――わたしは訂正して正しく口ずさみました。わたしはこの人物が集中していないともう分かりましたので、演奏前の休憩時間に楽屋裏で彼を探し出して、そのフレーズを吹くように言いました。正しく吹きました。コンサートではレガート三つにスタッカートひとつで吹きました。三回目のコンサート前にわたしは再び直させましたが、演奏ではまた間違えました。四回目はすべてを彼はもう混乱していました、それで一度もちゃんと吹けなかったのです、、、 一方、一度目のマーラーの交響曲は素晴らしい演奏でしたが、その後すべて悪化していきました。というのもみな、もう上出来だったことが分かって努力をやめてしまったのです。残念ながら、無関心と彼ら特有の自尊心(フランスで最高のオーケストラ!)とを彼らは混同しているのです。現在、ショルティの後あそこにはバレンボイムが就任しています。彼はピアニストで、指揮もはじめましたが、わたしには正直なところどんな指揮者かわかりません。第一歩を踏み出したばかりですから。果たして彼には、芸術に対してまったく我慢を知らないこの移り気なフランス人の惰性を打ち破るだけの根気があるか、わかりません。

「コンドラシンは語る」より パリ管 1

コ:ショルティと「パリ管」とのあいだに起きた衝突はとても特徴的ですね。「パリ管」はその五年前に音楽院管弦楽団という名で組織されました。このオーケストラはパリのその他(五つか六つ)全てのオーケストラと同じように国の補助というものを受けていませんでした。基本的に彼らは別の定職と兼任しながら、いわばブランドのために働いていたわけです。国からの補助があったのは、フランス放送フィルハーモニーだけです。平均的な仕事で十分高い給与でしたので、二つめのオーケストラを作りました。それでド・ゴールの頭に浮かんだのが、ヨーロッパで最高の演奏者をかかえる音楽院管弦楽団を基にヨーロッパ一のオーケストラを作るということでした。専用オーケストラを作ってそこへ地方や外国から多くの人を連れてきました。給料も放送フィルハーモニーより高く、最高に定められました。監督には当時かなり高齢だったミュンシュが招かれました。彼はリハーサルに特別熱心に取り組んだわけではありませんでした。いくつか演奏会を行い、これといった仕事をオーケストラとする前に亡くなってしまいました。オーケストラには監督がいなくなりました。カラヤンが呼ばれて年に二回出演しましたが、時間がないという話になりました。かれはベルリン・フィルを率いており、ザルツブルグ音楽祭も担当していたので、これ以上こちらに出ることはできなくなった。あちこち探し回って、、、そしてショルティが招かれました。ショルティ――彼は大物ですね。現在はシカゴ響の監督です。いま世界では指揮者不足で、二つの大陸でひとつづつオーケストラをもつのが当たり前になっているほどです。メータ、マゼール、ショルティ、ハイティンクなどは二つ抱えているほどです。大物指揮者はみな、大概二つはオーケストラの監督をしています。ショルティはパリで二ヶ月、その間の三週間は休みなしで行うこと、という契約にサインしました。二年間働いて、その後別れました。わたしはちょうどこの衝突の真っ最中にパリに滞在していて、雑誌で興味をそそる記事を読みました。インタビューは、ショルティ側ともう一方の――オーケストラの演奏者側のリーダーのものでした。演奏者らのショルティに対する申し立てはどんなものだったでしょう? ひとつめは彼が義務を果たしていないというもの。二ヶ月間共に仕事をしなければならないのに、実際は二年間のうち二ヶ月分少なかった。三週間は続けて滞在し教育に従事しなければならないのに、一度として行わなかったばかりか一週間以上滞在したためしがなかったこと。二年間で三、四回の演奏会とレコードを一枚つくっただけである。これでは十分ではない。そのほかにショルティはフランス語がほとんど話せないのでコミュニケーションが取りづらく、彼の性格もきついので良好な関係を作ることができなかった、と言うのです。ショルティはフランスの、とくにパリの音楽家たちよりも芸術や音楽にたいして遥かにしっかりした考えを持つ人物です。シカゴでは、もし演奏者がリハーサルで間違えようものなら、それは彼の恥であり楽団全体の恥ですが、一方パリでは演奏者がコンサートで間違えてもみな笑ったり肩をたたいたりして嬉しそうに受け止めるのです。みな嫌々仕事をして、まったくきちんとしていません。主要メンバーのひとりひとりはもちろん実力がありますが、大多数は劣ります。ミュンシュは高齢だったので、全員から個別に話を聞けたわけではない。半分は「機械的」に彼のところに移ってきただけです。その中から辞めさせなければなりませんが、まあ今のわたしにはそれに関わる余裕はまったくありません、、、

「コンドラシンは語る」より ドレスデン・シュターツカペレ

ドレスデン・シュターツカペレは、1950年にわたしのことを認めてくれた初めてのオーケストラですが、わたしのことは噂になっています。ええと、オーボエ奏者のことについては話したでしょうか?

ラ:ええ、このオーケストラのことだけでなく、イタリアで、、、

コ:ちょうど1950年にはじめてドレスデンを訪問した折に大きな感銘を受けたのが、楽団の権威をどう保つのかということを目の当たりにしたことです。曲目は第一部にフランクの交響曲、さらに別の部にもうひとつ何かでした。彼らの流儀はこうです。部がはじまるたびに吹奏楽セクションではじめの音を変化させる。それでリハーサルではどのようにすり合せていくつもりかと毎回わたしは質問を受けました。最初のリハーサルでオーボエ奏者は、わたしの要求する通りにそのフレーズを正しく反復することが理解できませんでした。しかもこのフレーズはその後、弦楽セクションその他で同じように繰り返すのです。わたしが指摘して、彼はまた間違えました。わたしはもう一度要求しましたが、彼はもう吹きません。オーケストラが止まりました。
「ひとりで吹いてください」
彼は二、三回やってようやく正しくできるようになり、全体が上手くいきました。その次のリハーサルでわたしがフランクの交響曲を練習するときに見てみると、別のグループからきたオーボエ奏者が座っていました。まあ、つまりまた全部繰り返したわけなのですが、、、 休憩時間に責任者のトレーダー氏(その当時は主席指揮者がいませんでしたので)に尋ねました。彼は尊敬すべき人物で優れた音楽家――、メンバーの一員でヴァイオリン奏者でもあります。
「オーボエ奏者はどうしたんですか?」
「交代させました」
「交代させたって、なぜです?」
「彼に不満だったでしょう」
「ちょっと待ってください。わたしが誰かに不満だといいましたか。彼はちゃんと演奏しましたよ」
「指揮者が求めることを120人が理解している中で演奏者一人がそのことを分かろうとしないことは、わたくしどものレベルのオーケストラにとっては恥ずかしいことです。処分しました。終身給与がありますから、彼は経済的に困るわけではありません。でも思い上がった人にはこうしてお灸をすえるんです」
こんなことがあって減給以外の方法でどのようにオーケストラの権威を守るのかということが分かったのです。これがドレスデン・シュターツカペレです、、、

「コンドラシンは語る」より オーケストラのレベル

オーケストラのレベルについて。一流のオーケストラと仕事をして満足なことは、、、それだけ結果が目に見えるということですね。でも一級のオーケストラは、概してうぬぼれも強いものです。あと、そのほかには、一流であることを勘定に入れてリハーサルの量をとても節約したがる。わたしはさっさと仕事を切り上げるのには慣れません。
できますよ、もちろん、一回だけのリハーサルで演奏会をでっち上げることも。しかし、それでは――わたしの意図とは別ものになります。わたしのもうひとつの顔は――教育者ですから、オーケストラと仕事をするときは、見慣れた部分に新鮮な目でニュアンスやバランス等々を読み取るようにさせる。わたしは解釈に手を付けませんが、もちろん、わたしよりもっと柔軟に解釈する人もいます。わたしはじっくり仕事をすすめることができるときだけこの点は扱いますが、概して、良い反応をもらいます。わたしが演奏しに行くのは一流のオーケストラの中でもこうした可能性を与えてくれるところだけです。それでわたしが雇われ旅芸人みたいに年二回、二、三週間訪れるのが「コンセルトヘボウ」というわけです。すでに三年分の予定が出来上がっていてすべて計画通りです。

          

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